まばらな雪柳のしぼんだ花は、かすみ草のようで移ろいの速さに・・・

 一日中冷たい雨がシトシト降り花冷えだった前日と異なり、気温も20℃近くに急上昇し湾岸低気圧の影響で強風が吹き荒れた4月12日。

 華蔵寺公園を始め伊勢崎市内の桜も散り始めたものの桜の写真は、単発で撮った写真が数枚あるだけで、不満が募った。方々見物するだけで撮らず終いだったのだ。

 既に桜の写真は、このブログにも400枚近く掲載しているので、どの景色も見慣れた光景の感じが強いせいか、感動が小さくなっているようだ。それより、新しい景色を探そうとする意識が強過ぎるのかもしれない。

 現に今も、うぬき公園の雪柳と菜の花の共演する風景が気になり、晴れたら撮ろうと思いながら前回撮ってから一週間経っているので見頃になっているはず、と。勇んでうぬき公園に行った。

 しかし、期待とは裏腹に雪柳の花はしぼみ半ば散っていた。

 青空を背景にまばらな雪柳のしぼんだ花は、かすみ草のように見え、移ろいの速さにドキッとした。言葉にすると、おぼろ、かすみ、幻・・・で、はかなさを感じていた。明るい春の陽射しの中で、喜んでばかりいられない無常感が走った。 

 菜の花の寿命は長く、雪柳も同じようなものだろう、と意に介さない節があった。雪柳の花の寿命の短さは、雪が解けるように速かったのだ。 

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雪柳が散り菜の花だけの風景は、何処にでもあるのどかな春の風景だった。

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これ以降の写真は一週間前に撮ったもの。

 曇天下での雪柳と菜の花風景だったので再チャレンジし、青空で撮った写真を掲載するつもりだったが、果たせずに幻に終わった。

 スッキリした青空をイメージしながら、曇天下の写真を見て頂けると、ありがたい。

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雪柳と菜の花の入り混じった所をアップで、パチリ。

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菜の花にフォーカスして、パチリ。

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菜の花と雪柳のおぼろな世界をイメージしながら、撮ってみた。

 童謡のおぼろ月夜(菜の花畑に入り日薄れ、見渡す山の端かすみ深し・・・)のイメージがあり、恐らく共感からだろう。

 おぼろやかすみを、強く意識すると幻や夢のイメージにも、踏み外せば妄想の世界にも通じているような気がする。幻想も妄想も、紙一重なのだ。

 これは生き方でもあり、夢のあるイメージに発展させるか、妄想の中をさまよい歩くか、人それぞれ。

 私は、幸い50歳になって、おぼろやかすみの中から"ステンドグラスのNC加工"という夢を見つけ、妄想でなく夢の実現に向うことになった。だから、妄想も必要だと想っているが、大事なことは、何かを夢として選ぶ決断力だろう。どんな人でも選ばなければ出発点に立つことすら出来ない。

 妄想で終るか、夢にするか、それが問題だ、と思っている。実現するか否かは、決断の重さをバネにしたあきらめない行動力になる・・・。

 今思うに、おぼろやかすみの中に、夢や希望の宝が隠されているような気がするのだ。

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黄色い菜の花にフォーカスし、パチリ。

この鮮明な菜の花のイメージに、おぼろやかすみの中から見つけた私の生き甲斐は共感している。

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ときに、ハローグラスでは、花図案に始まるステンドグラス加工品の美のおもてなしで、癒しや感動サービスを提供し、楽しくて心健やかな生活を応援する感性ビジネスを考えている。

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投稿日:2017年04月14日