故人を偲んで安寧を願う人達に、蓮花のモダンな接着ステンドグラス
あかぼり蓮園で紅白の夫婦蓮のような蓮花を撮った時、シャッターチャンスは自分で探し出すものだ、と強く感じ、そんな目で探して撮った。
いつもパスしていた光景だったが、面倒がらずに望遠レンズに替えて撮ってみた。遠近感が縮まって蓮花の並んだ賑やかな写真になったが、肝心のピントをどこに合わせたのだろう?
逆光で撮ったピンクのつぼみと満開の白い蓮。
父と娘の親子のような・・・、こんな輝いている父親像を娘に見せたいだろうな、と世間の父親にエールを贈るつもりで、パチリ。
好みのお気に入りな光景、背景の葉っぱ模様も気に入って、パチリ。
旧盆も近くなった今、こんな蓮のモダンな花図案で接着ステンドグラスの企画を考えた。が、ちょっと待てよ、と。顧客不在のアイデアで作り手の独りよがりの発想ではないか、と自問した。
そうではなく、世間には亡くなった父母や子供などを偲んで安寧を願う人達がいる。この人達に、美のおもてなしの一つとして接着ステンドグラスを提案することから企画は始まる。つまり、顧客の欲しいモノは何から・・・である。
すると、人達の中には、ステンドグラスに興味を示す見込客層もいて、気に入ったデザインのものがあれば・・・と徐々に具体化し、見込客に対してデザインコンセプトを創ることから企画の仕事が始まる。
そして、写真の様な蓮花のモダンな花図案で接着ステンドグラスを提案する。
蓮田風景、赤城山はぼんやい霞んで正面の休憩所の天井の影に入り見えない。昨年は、瓢箪棚で囲われていたと想うが・・・今は吹抜けで、この方が写真には良いようだ。
蓮田から天幕城址に上る階段を入れて、ついでにコウモリ傘をさすアベックも入れてパチリ。雰囲気からして、このアベック、いちゃつき具合から合体蓮に向っているような感じだった。
いつもと違い、花以外にも目配りして撮ってみると、新たな視点で見えてくるもんがある、と実感した。瓢箪棚などいい例だ、以前は邪魔な障害物と想った時すらあった。
シャッターチャンスを探すことと言い、見る視点を変えることと言い、意外と狭い視点から無意識に見ているものだな、と固定観念の怖さのようなものを感じた。
投稿日:2016年08月09日