ムクゲの一日花に、バイタリティーのようにも、哀れのようにも・・・
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外出しない日は、近所をウオーキングするのが日課になっている。その道すがら、ムクゲの白い花が咲いては散り、濡れた地面にも花屑が散乱していた。 その光景は一日花の宿命を補うかのように次々に咲き出すバイタリティーのようにも。はたまた花屑の残骸の汚さに、哀れのようにも・・・同じムクゲの花なのに、と目を疑ってしまう。
梅雨の真最中の七夕の頃、そんなムクゲの白い花を、雨上がりの曇天で撮ってみた。
心なしか暗い写りになったので、明度補正してみた。
花をアップで。 白い花なのに、暗い寂しいイメージだった。
梅雨の晴れ間、うぬき公園で咲き出した赤紫(ピンクかな?)のムクゲを、パチリ。
ムクゲの花は、ハイビスカスや芙蓉の仲間で本来、鮮やかな花。咲く時期が梅雨時と重なったのが不運なことかもしれない・・・などと。そこで、思いっきり明るく撮ることにした。
青空を背景ににして、賑やかなところを、パチリ。
明るい微笑みのようなところを、パチリ。
さらにアップで、鮮やかな満面の笑顔のようなところを、パチリ。
ひと時だが、哀れのようなマイナスイメージを吹き飛ばした。が、待てよ、と迷いが膨らんだ。
ムクゲの花は、梅雨時の一日花、哀れにも見えるが、それも一面なのだ、と。むしろ、明るく鮮やかなムクゲしか知らないことの方が悲しいことではないのか?
双方を感じることが・・・、それが現実なのだから。
投稿日:2016年07月24日