あじさいと言えば七変化、葉っぱ色なんか無視した味気ない生活
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一週間前(6月18日)のあじさいの咲き始めの頃、未だ華やかな七変化の花色には程遠い若い葉っぱ色が見え隠れする光景を、荻窪公園・あじさいの丘で撮った。
その後、梅雨空の憂鬱な天候が続き訪問していない。そろそろ見頃だろう、と梅雨の晴れ間を待ち望んでいるこの頃。
で、ネタの写真も少なくなり、その咲き始めの頃のあじさいの花の写真を掲載することにした。
普段目にすることの多いまり咲きの平べったいボール状のあじさい。ブルーや紫、黄色などの七変化を想わせる色合いが薄く色付き始めている光景(若い頃は、未だ早い、と気にもせず半ば無視して記憶も乏しい光景)を、先ずパチリ。
色付きが、少し進んでいる場所を選んで、パチリ。
木々の間から差し込む光にも癒される、希望の光、道標・・・、この微かな光に向って突き進みたい衝動に今も駆り立てられリフレッシュしている。加えて、あじさいの花もあり癒しや感動のシチュエーションの条件はそろっている。
葉っぱが、花になるのか、と誤解するような葉っぱ色したあじさいのつぼみ。白く花開き・・・、やがて、また葉っぱ色になり枯れてゆく・・・、そんな移ろいの気がしたが定かでない。
見渡す一面、あじさいの花々。あじさいの花づくし?
「あいのやまの湯」の傍らでは、早咲きのあじさいが一足早く見頃になっていた。あじさい、と言えば誰もが、七変化する華やかな色合いの、こんな光景を思い浮かべる。
今想うに、若い頃は、仕事にかまけて、見ているようで見ていない、あじさいと言えば、七変化、と結論に直結するような生活、これが都会生活、と勘違いしていた節があった。 葉っぱ色の咲き始めから始まる経過など無視した心にゆとりのない味気ない生活だった気がする。
投稿日:2016年06月26日