ススキの綿毛が光を含んだ輝きは、温もりとも、癒しとも、後光とも
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紅葉の時期になり、ススキの銀穂にも綿毛のようなものが増え、満開(?)になったようだ。この綿毛の増えた銀穂の輝きは光を含んで一段と素晴らしい。
ここは、ぐんまフラワーパークのロックガーデン。
ススキとススキの間の脇道を、双方から傾げたススキの銀穂が重なり合うようにしてふさいだ状態になっていた。
日が短くなった午後2時過ぎの幾分夕時近くの感じがする光景を、逆光で撮った。
昭和枯れすすきの演歌が聞こえてきそうな雰囲気に、ど演歌、度演歌、土演歌、どの文字が一番相応しいだろう、と思った。
この歌は、オーバーに嘆き悲しむイメージがして、度演歌がふさわしい気がするが、ススキのイメージとは異なる、と内心感じている。
同じ枯れすすきの歌でも、森繁久弥氏が歌う船頭小唄(俺は河原の枯れすすき)は良い。聞いていて風情があり、しみじみと心に忍び込み、このまま世間の流れに身を沈めても良い心境になるような。無理がなく自然な気がする。
これは、あきらめと異なった心境だろう、哀愁帯びた穏やかな心境にすら感じられる。
たそがれとは、こんな情景をいうのだろうとも思った。
それにしても、ススキは郷愁を誘う魔力を秘めている。
少し、明るく撮ってみた。
度アップで。
何とも言えないシンプルでスマートで、モダンな図案のようにも見え、また、銀穂の綿毛が含んだ輝きは、温もりにも、癒しにも、後光にも・・・見える。
同じススキでも、見方を変えると、こうも変わるものか、人は気の持ち様で変わる、とも感じた。
投稿日:2015年11月02日