来年も秋刀魚を・・・の句に、時折ふっと出る私のつぶやきと同じだ
全くの俳句音痴で創作は無論ダメ、理解も自己流だが結構雰囲気で楽しんでいる。
ときに、いつも訪問している俳句ブログに、数日前
来年も秋刀魚を焼いているだらう
という句が載っていた。
74歳になって、時折、ふっと出る私の独り言、いや、つぶやきと同じで、ただ、秋刀魚を、漠然としたチャレンジに置き換えたつぶやきだった。
意識したわけでもなく、咄嗟の感じで受け止めた、至極当たり前のことだった。
そして、これが俳句なのか、否、これでも俳句なのか、とも思った。
そのブログの続きには、
この句は4年前のもので、2012年の結社誌の新年号の巻頭1位の句になった。こんなことはもう二度とないだろう。
当たり前を句にしたようでも、いつ再発転移のあるかわからない病気持ちには、1年後のことは予想も出来ない。それを主宰が知っていた訳ではないけれど・・秋刀魚を焼いて食べるという日常が、来年も続いてくれれば、と今年も思う。
と書いてあった。
どうやら、この句は、作者の一番の秀作のようだ。
誰にでも、素直に伝わること間違いなしだろう。良いものとは、こういうものなのか、と心に問い掛けてみた。
ぐんまフラワーパークの南側の道路沿いに芙蓉の花が満開になっていた。その中に1個所だけ赤城山が見るこ場所を見つけた。生垣越しにパークタワーの屋根の上に赤城山・荒山が見えるのを撮った。
その芙蓉の中に、ひねくれ方の面白い恰好した芙蓉の花を見つけた。さらによく見るとつぼみが実のようにも見える。黄色と違った白い花咲くカボチャの実が・・・。愉快な芙蓉の花だ。
こういった花を見つけると、笑いが込み上げて元気が湧いてくる。
投稿日:2015年10月12日