朝顔の花で、はかなさを乗り越え生き切る心模様をつづってみた
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近所の垣根に朝顔が咲いているのを撮って記事にした。今回は、その時少し頭を使い撮り方を工夫した写真。と言うよりイメージを膨らませて撮った。
東京いた頃、何度か行ったことのある入谷鬼子母神祭りは、夏の風物詩の言葉通り7月なので、朝顔は夏の花と、思っていた。
今は、それに比べ2ヶ月も遅いので時期外れなのか。でも、朝顔の俳句の季語は 秋らしい。また、朝顔の露という、はかなさを表す言葉もある・・・。
今日はもの想う秋の彼岸入り、故人を偲ぶ人も多く、過ぎた日々を回想し思い出にふけると、おぼろに美化され引き込まれそうになる、自己陶酔の危険に襲われる秋なのだ。
そんな心境をイメージして撮った自己陶酔する朝顔。
朝顔の花と葉の一部をカットしてみた。カットすることで緊張感を、ハッとして夢と気付き・・・過去のことだ、と。
カットした分は現実に引き戻す覚醒作用の緊張感をイメージしたつもり。
少し目覚めて現実に戻りつつあるところを、現実の厳しさを暗いトーンにして撮った朝顔の花。
現実を背景に、精一杯咲く朝顔の花で、はかなさや切なさを乗り越え、今を大事に生き切る心模様をつづってみた。
投稿日:2015年09月20日