平凡なチューリップの花壇と霞んだ赤城山に思う、平凡とは
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17日ぐんまフラワーパークへ行く途中波志江沼公園へ立ち寄り、その後大室公園にも立ち寄った。
ここでも、何か偶然の発見を期待していたが、そううまい具合にはいかなかった。
期待値が大きい分ハードルが高くなり、フィルターから漏れ落ちてしまったのかもしれない。木々の芽吹きの新緑風景は良いなぁ、と想いつつパスしていた。
今が旬のチューリップにフォーカスして探した結果でもあったが、撮ったのは下記のチューリップ風景だけだった。
先ずは、桜とチューリップ。
平凡なチューリップの花壇と霞んだ赤城山。
こちらも平凡なチューリップの花壇と霞んだ赤城山。
ありきたりの風景で、周囲に溶け込んでいる・・・。
比べると、ぐんまフラワーパークの賑やかなチューリップ風景は、非日常のハレのお祭りの華やかさだろう。
また、一本のチューリップも寂しそうな気がするし・・・・、平凡とは少し違う気がする。
今回、"平凡"の言葉にこだわってみた。良い意味で使っているのか?
平凡な幸せ、とよく聞くが、時折平凡は退屈と想う時があるのでは。そんな時の退屈しのぎの行動がピンチを創ったり、チャンスを創ったり・・・、と人生を面白くしてくれる。
平凡は、往々にして退屈しのぎににチャレンジという名の冒険に駆り立ててくれる。これに、チャレンジするのが自然とも思うが。
平凡だけが幸せではない・・・、人生面白くなければ、泣き笑いがなければ・・。少し冒険の薦め。
退屈しのぎとは、乱暴な言い方だったが、退屈していると・・・徐々に自分のやりたいことが見えてきたり・・・霞んでいたものがはっきりしてくることもあるわけで・・・。
投稿日:2015年04月20日