退魔寺の老桜の姿に、味わい深いお花見になった
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寒い日が続き、開花日がずれ込み待ちに待った桜である。
4月3日撮影、3分咲き?
今年は、退魔寺の桜を撮りたい。
出来れば、ボタンと一緒の写真を撮りたいと願っていたが、
訪れて、すぐ無理だとわかった。
写真の左側はボタンの枝葉だが、花の気配はまだない。
もともと開花時期にずれがあり、強欲な注文だったようだ。
ところで、幹が途中から切られて いる。
多分、枯れて しまったのだろう。
私の子供の頃から、見ていた桜だ。
その頃でも、既に大木だったような記憶がある。
今見ている桜は老木なんだ。老桜である。
だから、治療の傷跡だろう。
いつものお花見とは違った、味わい深い老桜の写真撮影となった。
そして、この桜の姿を見て、自分の老後がちらっと頭に浮かんだ。
老桜に
咲く
花。
満開の
鈴なりの
桜とは
異なる
味がある。
流木と桜の盆栽の様にも見える。
岩と桜との生花のようにも見える。
枯山水の庭園と、イメージはふくらむ・・・・。
さて、ここからは満開の桜で、4月6日に撮った。
日本画の
デザインが
思い浮かぶ。
簡素で
余白の多い
デザインと
いう印象で
ある。
味わい深い、お花見写真となったが、同時に「老い」について考えさせられた。
老いながらも、精一杯生き切るのは、生易しくないようだ。
だが不自由な身体になっても、この桜の様にありたいものだ。
そして、桜は、新芽が出て再生可能だ。
だが寿命が尽きる、人の命のリレーを、絆を、何に求めたらいいのか?
やっぱり、自分の心にだろうか。
投稿日:2010年04月09日