あかぼり小菊の里、たそがれ風景?夕焼け風景?
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9月20日群馬伊勢崎商工会あかぼり支所に午後4時根岸さんを小用で訪ねる約束をした。
そこで、約束より少し早めに出てあかぼり小菊の里に向った。
途中あかぼり小菊の里が一望できるポイントで撮った全景です。
バックに赤城山、周囲はのどかな田園風景に包まれた小高い丘に、あかぼり小菊の里はある。
テレビで紹介されたせいか、多くの人出で、
お年寄りの姿も多く車椅子の姿もちらほら目についた。
小道まで舗装されていて楽に歩けるのも人気の秘密では?。
ところで約束の4時近くになったので、あかぼり支所の根岸さんを訪ねた。
小用とは、18日「消費者心理研究会」視察研修の欠席者へのおみやげを頂くことだった。
研究会の皆さん、おみやげありがとう。
しばらく雑談したあと、再びあかぼり小菊の里に向った。
ネライは夕焼けのあかぼり小菊の里だった。
丘の天辺から撮ったものです。
5時近くになると人影もまばらとなり、たそがれ風景となった。
果たしてきれいな夕焼けが見られるかどうか、気になった。
ときに、たそがれと夕焼けの違いが知りたくて辞書を引いてみたら
国語辞書との一致 (1~3件目 / 6件) | 辞書:大辞泉 (JapanKnowledge) |
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少しだが夕焼けに染まってきた。
久しぶりに撮った夕焼けだ。
歳のせいか、億劫になり最近は滅多に夕焼けなど撮らなくなった。
そして人生のたそがれも、また寂しいものだ、と時々感じる。
以前出来たことが、段々出来なくなる。これは、とてもつらいことだ。
例えば、目だが直ぐに疲れる。もう少しパソコンをいじりたいのだが・・・。
仕方ないでは、割り切れないものが、まだ残っている。
まだ、意地もある。やりたいこともある。
だがそれ以上に、やらなければならないことがある。
投稿日:2009年10月26日