集客施設の普及率UPに伴う波及効果、ステンドグラス市場の将来

 ハローグラスでは、ステンドグラス市場や建材市場等、いろいろ検討の末、将来性ある大きな潜在市場を持っのは、集客施設と判断し、ここをターゲット市場にした販売戦略を企画することにしました。
 しかし、妙案があるわけでは、ありません。思考錯誤(試行錯誤)しつつ、近未来を想像しながら進める企画であり、楽しみながら企画を練っています。

 ときに何故、日本にステンドグラスが普及しなかったのか、自分なりに考えたのですが、建築物が石造りの西洋文化と木造や和紙の東洋文化の違いに根差していることかもしれない。
 西洋文化は、ステンドグラスの様なキラキラ輝く美しさやシンメトリックな建築、ガラス窓やドア、幾何学模様等の内外装など、洗練されたモダンな美しさです。
 比べ日本文化は、神社仏閣が示す通り障子や襖などの和紙や木材を用いた建築で、侘び寂びや風流などの美しさにあると、想います。

風土的に、相いれないものがあるのかも、しれません?

 しかし、他に、もっと日常的な問題があった気がします。

 欧米では、キリスト教の信徒が多くその習慣が社会生活に根差し、教会が大きく生活習慣に影響を与えています。その教会の象徴の一つがステンドグラスとも言えます。象徴たるステンドグラスを見る、さらに憧れる生活習慣が育まれ、ステンドグラスが日常生活の場に存在する環境が育まれました。即ち、教会が集客施設の役割を果たし、その波及効果で日常生活の住まいにまで普及していたのです。
 では、日本には教会に匹敵するような生活習慣に根差した集客施設がなかったのでしょうか?

 似たような生活習慣に根差した社会システムはステンドグラスに関する限り残念ながらなかった、と想います。寺院等の建築物は宗教施設としてありましたが、ステンドグラスは無くても、別段気にならなかった生活習慣だったからだ、と想います。
 また、ステンドグラスがなくても、"見る感動・魅せる感動"を日本文化で味わうことが出来たからとも言えます。ステンドグラスは、よそ者扱いで終始した様です。

 欧米化した現在でも、様々な近代的な集客施設が建ち並んでいますが、ステンドグラスは余り見当たりません。
 皆無に近い現状かも、欧米並みとは言いませんが普及不足(?)、ではないでしょうか?
 群集心理として、とりわけ日本社会では、どんなに良いものでも、近くに無ければなくても構わない。隣にあれば私も欲しい・・、が色濃い気がします。だから、普及させるのが厄介なケースなのです。最初の導入に無関心なのが大きな障害なのです。幾つか導入されるに従い、やがて見慣れ、警戒心も薄らぎ普及し始めるはずですが・・・。

 現在に於いても、光彩の輝きを放ち"見る感動・魅せる感動"を誘う、ステンドグラスの存在は際立っています。
 この素晴らしさを、現在の集客施設で再現し、お客様に"気軽で身近な場所で楽しんで頂きたい"のです!


 視点を変え、普及しなかった原因の一つに、本物も類似品も似たよなもの、と見誤った判断があります
 本物素材の美しさを見るチャンスもなく実感していない人達もいるからです。裏返せば、普及していないのが遠因なのです。
 その多くの人達は、書物の画像やテレビや映画、インターネットの映像知識で判断しているのです。
実物の本物素材は、画像や映像に比べ、さらに、味わいのある神秘的な光彩の色合の美しさなのです。

続きは集客施設の普及率UPに伴う波及効果、ステンドグラス市場の将来を、参照して下さい。

gun600.jpg

投稿日:2020年08月21日